大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和49年(行ウ)108号 判決

原告 東京印刷紙器株式会社

右代表者代表取締役 中峰弘

右訴訟代理人弁護士 馬場東作

同 福井忠孝

同 佐藤博史

同 高津幸一

被告 中央労働委員会

右代表者会長 平田富太郎

右指定代理人 西川美数

〈ほか三名〉

参加人 東京印刷紙器労働組合

右代表者執行委員長 会原静雄

参加人 築舘照夫

右両名訴訟代理人弁護士 菊池紘

同 門屋征郎

主文

被告が中央労働委員会昭和四八年(不再)第四六号事件につき昭和四九年六月五日付でした命令を取消す。

訴訟費用は参加によって生じたものは参加人両名の負担とし、その余は全部被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文第一項同旨

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告及び参加人両名

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  被告中央労働委員会(以下、被告または中労委という。)は、同委員会昭和四八年(不再)第四六号事件(再審査申立人原告会社―以下、原告または会社という。―再審査被申立人参加人東京印刷紙器労働組合―以下、組合という。―及び参加人築舘照夫―以下築舘という。)につき、昭和四九年六月五日付で「本件再審査申立を棄却する。」との命令(以下本件命令という。)を発し、右命令書写は同年七月一日会社に交付された。

2  本件命令が発せられるに至った経緯は、次のとおりである。昭和四七年四月一八日その頃会社の従業員であった築舘は、同人に対し会社のした私傷病による休職の措置が不当労働行為であると主張して東京都地方労働委員会(以下、都労委という。)に救済申立をなし、右は都労委昭和四七年(不)第二九号事件として係属した後、会社が築舘に対し休職期間満了による解雇の措置をとったことに対し築舘及び組合がこれを不当労働行為であるとして同じく都労委に対し同年七月二四日救済申立をし、右は都労委昭和四七年(不)第七八号事件として係属した。右両事件は併合審理された結果、都労委は昭和四八年六月一九日付をもって次の主文の救済命令を発した。「被申立人東京印刷紙器株式会社は、申立人東京印刷紙器労働組合の組合員である申立人築舘照夫に対して、つぎの措置を含め、同人が昭和四七年二月二一日以降復職したものとして取扱い、かつ同年七月一四日解雇されなかったものとして取扱わなければならない。1、本人の病状に留意し、本社総務部の適当な職に復職させること。2、昭和四七年三月分以降、復職するまでの間に受けるはずであった諸給与相当額を支払うこと。但し、すでに同人が受領済の分は本命令にもとづく支払いとして計算上除外すること。」

会社は右命令書写の交付をうけた直後の昭和四八年七月三日中労委に対し再審査申立をなし、これに対し本件命令が発せられるに至ったものである。

3  しかしながら、本件命令は違法な行政処分であるからその取消を求めるため本訴に及んだものである。

二  請求原因事実に対する被告及び参加人の認否

請求原因事実は、認める。

三  本件命令の適法性についての被告及び参加人の主張

1  当事者等

原告は肩書地に本社を、千葉県柏市、神奈川県平塚市に工場を置き、化粧箱等紙器の印刷製造を業とする会社で、その従業員数は昭和四九年三月三一日現在約二五〇名である。参加人組合は昭和四七年六月四日会社従業員をもって結成された労働組合で、全国印刷出版産業労働組合総連合会東京地方連合会に加盟している。また参加人築舘は昭和四四年一〇月原告に雇用され柏工場事務課に配属されて電子計算機業務に携っていたところ、後記のように昭和四六年一〇月三日に負傷し翌四七年一月一一日まで入院したが、同月一四日休職六か月を命ぜられ、休職期間が満了した同年七月一四日解雇された。なお、会社には従業員によって組織されている親睦会の東印会があり、昭和四六年一二月同会の規則変更までは社長がその会長であった。

2  築舘の負傷と同人に対する休職措置及び復職拒否から解雇に至るまでの経過

築舘は昭和四六年一〇月三日昼休み柏工場中庭で野球をしていた際足に負傷し、同月一三日松戸市立病院に入院し両側膝関節の手術を受け、結局昭和四七年一月一一日まで入院したが、原告は築舘の私傷病欠勤が三か月になったため、同人を就業規則により同年一月一四日から同年七月一三日までの六か月間休職にした。

同年二月一四日築舘は傷病が回復したので柏工場に出社し、そこで昭和四六年一〇月二〇日付の「本社総務部付を命ずる。」という辞令を受取り、直ちに本社の総務部へ出向き、総務部長東義之と復職について話し合ったが、その際東部長は築舘に対し診断書の提出を求めた。そこで二月一六日築舘は主治医松戸市立病院篠原医師の診断書を会社に提出したが、その診断書には「両膝遊離性骨端軟骨炎、頭書疾病、関節内遊離体摘出術施行せるも、今後更に又遊離体の発生は予測される為過激な労働は不適当である。」と記載されていた。その際築舘は東部長に対し「総務部で働かせてほしい。」と要求したが、これに対し東部長は「総務部は三階だから階段が大変だ。」と答えた。同日午後東部長は篠原医師を訪ね、直接築舘の病状について説明を受けた。

同月一八日東部長は築舘に対し、復職について一両日中に結論を出すのであと数日間自宅療養しながら待機するようにという趣旨の文書を郵送したが、翌一九日会社は「診断書の内容ではいまだ完全治癒の状態ではなく、正常勤務には耐えられないと判断されますので、復職は認められません。今後共治療に専念されるよう通知いたします。」という文書を築舘に郵送し、同月二一日築舘から提出された「担当医師の診断および本人の治癒判断に依り職場復帰可能となりましたので……復職申請致します。」という復職届に対しても同趣旨の文書を郵送した。同月二四日東部長、大平柏工場次長は再び篠原医師を訪ね、本人が勤務した場合どんな状況が予想されるかを中心に尋ねた。同月二九日会社は柏工場において役員会を開き、築舘の復職拒否を決定した。同会議には、五名の役員のほか柏、平塚の両工場長が出席した。

翌三月一日築舘は東部長および平田課長と復職について話し合ったが、その席上東部長は築舘に対し、(1)会社は昨年一〇月二〇日築舘の営業部配置転換を決めているが、提出された診断書、医師に対する問合せなど総合判断した結果、勤務に耐えられないので復職は認められない、(2)休職期間満了後においても勤務に耐えられないと推察し、休職期間満了後は解雇する予定であるという趣旨を述べ、さらに同日会社は、上記意向をまとめた文書を郵送した。なお、築舘は営業部に配置転換されることを、同日初めて知らされた。

築舘は四月一八日付の「疾病軽快、過激な重労働以外就労可能である。」という篠原医師の診断書を会社に提出したので、会社は五月一六日篠原医師から説明を受け、また同月二〇日同医師に意見書の提出を要望した。篠原医師は会社の求めに応じて五月二六日付意見書を提出した。この意見書には次のような記載があった。「我々の治療の最終目的は患者の社会復帰であると考える。なれば、次の二通りの方法しか存在しない。(1)特に治療はないが、病状を観察しつつ、無期限に休養する。(2)病期に応じての治療対策をたて復職する。そこで次の治療方針をたて(2)を選ぶこととした。(イ)今後予想される遊離体再発は何ヶ月後か、何年後か判らないので発生したらその都度摘出術を施行する。(ロ)再発をくり返し変形性膝関節症へと移行する時期をなるべく老令期へともって行くべく養生する。(ハ)若し高度な変形性関節症が招来されて了った場合には、関節固定術なり人工関節なりその時点で最適な治療を行う。以上の治療計画のもとに昭和四七年二月一六日軽作業により復職可能と診断したものである。」

六月八日会社は築舘に対し、「貴殿がなお正常な業務に就き得る迄に完治しておらず休職事由は消滅せず、かつ休職期間満了時においても消滅しないものと判断します。よって……休職期間満了日の昭和四七年七月一三日の翌日付の解雇を予告します。」という解雇予告通知書を郵送し、同年七月一四日会社は、就業規則三九条「従業員が次の各号の一に該当したときは、退職とする。……(2)休職期間の満了直後に復職しないとき。」および同四一条「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。……(2)精神または身体の障害もしくは虚弱老衰、疾病等によって勤務に耐えられないと認めたとき。……(7)その他前各号に準ずると認められたとき。」を適用して築舘を解雇した。

なお、築舘の退院後の症状については、特に医師による治療を必要としておらず、その後篠原医師は築舘らに対し、過激な仕事でなければ事務的な仕事はできる、現在は特段の治療はないが用心しながら通常の生活をしていく以外にない、再発もあり得るがその時点で手術を行うことができるという趣旨のことを答えている。

3  組合結成の動きとこれに対する会社及び東印会の態度

(一) 組合結成準備会の発足とその活動

昭和四六年七月一五日会社従業員の築舘、田中名都夫、会原静雄ら六名は、発起人となって、東京印刷紙器労働組合結成準備会(以下、準備会という。)を発足させた。その後準備会は同年九月ごろには会員を三〇名以上に拡大し、書記局、情宣部等の機関を設け、また週一回の定期的会議をもったり、学習会を計画したり、外部から労働組合役員等を招き話を聞いた。同年一一月一日準備会が柏工場従業員を対象に配布した情宣部発行のビラ「私達の職場のようす」には「私達が労働組合をつくろうと考えるのは当然です。」、「労働組合は悪いところを直すためにつくるのであり、良いところはもっとよくするために労働組合の力をかりるのです。」、「倉庫……冬は冷房(もちろん夏は暖房!)の中で作業しています。」という記載があった。準備会の活動の場は、柏工場が中心であった。

築舘は準備会員中最年長者であったところから、準備会の中では主導的な役割を果し、さらに外部の労働組合との接触を担当し、組合規約の立案などを行ったが、昭和四七年六月四日に組合結成大会を開くことが決定されると、アンケートによる要求項目の集約、結成大会の事務的手続、議案書の作成などを受持ち活動していた。

(二) 組合結成

昭和四七年三月五日組合結成大会が開かれる予定であったところ、後記のように組合結成のため中心的に活動していた田中名都夫、会原静雄が会社から出張を命ぜられたこともあって延期され、同年六月四日松戸市内において準備会員二十数名を中心に組合結成大会が開かれ、役員の選出、規約の決定、要求項目の決定などを行った。そして同月七日昼休み組合は柏工場の中庭において八〇名前後の参加を得て組合結成集会を行い、直ちに会社に結成通告を行うとともに、夏期一時金のほか築舘の即時就労等一八項目を要求した。

築舘は、組合結成大会において議事の進行係をつとめ、中央執行委員に選ばれ渉外部長となり、その後地区労や全印総連との連絡、それらに加盟している単組の大会への出席などの活動を行い、また組合の機関紙「スクラム」の発行にもたずさわり、団体交渉のメンバーともなった。

(三) 会社の動き

(1) 昭和四六年九月八日午前柏工場長高谷総一郎は築舘を柏工場の応接室に呼び、事務課を中心にして労働組合結成の動きをしているといううわさが出ているけれどもそれは本当かという趣旨のことを聞き、同日夜会社の社長中峰弘、東総務部長、高谷工場長が築舘を東京都神田の小料理屋に呼び飲食をともにし、その席上社長が「組合をつくろうとしているといううわさがあるが本当か。当社は創業以来大家族主義でやっている。組合をつくるなら企業内組合がいいのではないか。もし上部団体に加盟すれば自主性がそこなわれる。」などという趣旨のことを話した。そして翌九日専務取締役北川宏と高谷工場長は築舘を柏工場の応接室に呼び、その際北川専務が、「労働組合を設立するといううわさを聞いたがどうなのか。若いときは血気にはやることもある。自分も若いころ組合活動をしたことがある。」という趣旨のことを話した。

(2) 同年一〇月はじめ会社は、職場の要求、不平、不満を採り上げていくという目的で職場を単位とした職場懇談会を設置した。

(3) 同月村井事務課長は課員の浜崎を自宅に呼び、「組合をつくる動きがあるけれども旗上げする日がわかったら教えてくれ。君の妹が会社に入社を希望しているそうだが、君が組合員であれば秘密を扱う事務部門では働かせられないかも知れない。」という趣旨のことを話した。

(4) 同月二〇日会社は電算機業務を廃止することとし、これに伴い柏工場事務課を廃止し、同日付で課員の田中、浜崎を柏工場生産管理課へ配置転換し、入院加療中であった課員の築舘に対し本社総務部付を命じた。電算機関係業務は昭和四四年四月に開始され、このため柏工場に事務課が新設され、同年、築舘、田中らが電算機業務の技術要員として入社したものである。

(5) 同年一一月一日前記3(一)記載のビラが配布されたが、北川専務は同日から約一〇日間にわたって二三名の従業員を呼び、ビラを受取ったかどうかを質問し、受取った者からはその旨を記した文書を提出させた。

(6) 同月三日会社は田中を呼び、就業時間中に準備会のカンパに関する話をしたこと、労働組合の必要性や目的等について書かれている準備会のパンフレットを会社の用紙を使って印刷したことについて、始末書の提出を求めた。また同じころ会社は、準備会員であった飯塚福興に対して就業時間中に同僚にビラを配布したりカンパをうったえたりしたことを理由に、また同じく準備会員であった松井誠に対して会社幹部を中傷、誹謗した記事を掲載したビラを社内に配布したことを理由に、始末書の提出を求めた。松井は同月二日、田中は同月三日、飯塚は同月四日に、それぞれ始末書を会社に提出した。

(7) 北川専務は同年一一月ごろ発行された社内報「とういん」一〇月号に「職場懇談会の趣意をあやまった方向での受け取り方をしている人が少数ではありますが存在する事は甚だ残念でなりません。」「新工場の倉庫が『夏は暖房、冬は冷房』等と駄じゃれでも通用しないような事を発言したりします。」という内容を述べた一文を掲載した。

(8) 同年一二月二〇日会社は柏工場生産管理課の田中、会原を本社営業部へ配置転換し、以降両名を新規得意先開拓業務に従事させた。

(9) 昭和四七年二月四日北川専務は準備会員であった菊池節子を就業時間後食事に誘い、同女の一身上の問題について話し合った。その際北川専務は菊池に対し「会原、田中、築舘のほかに執行委員は誰がやっているのか。」、「組合員は何人位いるのか。」、「資金カンパをやっただろう。」、「オルグが来て話をしたろう。その時何人位参加したのか。」、「学習会はよくやるのか。」等と尋ねた。

(10) 同月二九日高谷工場長は電話で田中に対し「家庭訪問をすることはやめろ。」、「お前らの今後出る行動によっては考えがあるぞ。」等と言った。なお同日会社従業員大崎仁子の母親は高谷に対し、田中から夜間娘あてに自宅訪問したいとか近所で会いたいという電話が度々かかってきて迷惑しているので田中に注意してほしいという趣旨の手紙を大崎を通じて手渡した。その頃田中ら準備会員は会社従業員の家庭を訪問したり電話をかけたりして、労働組合について意見を聞いていた。

(11) 同年三月四日朝会社は営業部勤務の田中、会原らに対し事前に通知することなく、同日から翌五日まで京都市、大阪市、富士市への出張を命じ、直ちに会社の車で東京駅に送り出発させた。また翌五日会社は、準備会の執行委員竹川某を静岡県へ出張させた。同日は組合結成大会が開かれる予定であったが、組合結成のため中心的に活動していた田中、会原が出張を命ぜられたこともあって、結成大会は延期された。

(四) 東印会の動き

(1) 昭和四六年一二月ごろ東印会はその規則を変更し、従来会員であった会社役員を非会員、管理職や嘱託を特別会員、その他の従業員を正会員とした。また交渉協議会制度を新設したため、その後は昇給、一時金などの労働条件について会社と東印会との間で協議を行うようになった。なお会社は東印会に対し月々一定額の補助金を支給しており、昭和四七年九月当時の補助額は月二〇万円であった。

(2) 同年三月五日組合結成大会予定日には、会社従業員らが柏市内の会社の子会社であるトーイン工業株式会社に集り、東印会の集会を開いた。また、その日一部の会社従業員は柏駅附近などで、準備会員に対し組合結成参加を思い止まるよう説得した。

(3) 同日午前一〇時ごろ東印会の幹事長栗下節夫、副幹事長宮本雄一は柏駅近くで築舘をつかまえ、「労働組合結成発起人代表殿」あての東印会の要望書を手渡した。これには「労働組合を結成することを直ちに中止するよう要望します。」とあり、その理由として「東印会は単なる親睦団体ではなく……昨年一二月労働条件に関する交渉権を会社より獲得し……会社と交渉する労働者の交渉団体であり、」したがって「組合に移行する条件があれば東印会の場に於て民主的に充分審議されるべきであ」る、そして「二つの団体の存立は働く者にとって決して利益にならない、」「我々は労働組合の結成に対しては……東京印刷紙器に働くすべての者の総意と賛同により統一化され結成されるべき」で「一部の人達が労働組合を結成し別行動をとることは東印会の団結を弱めるばかりでなく労働者間に対立と混乱を招く」等と記載されていた。

(4) 同月六日および八日築舘は東印会の栗下幹事長らと築舘宅で話し合った。そして同月一五日築舘、会原、田中ら六名を代表として「東印会を労働組合にするために努力する会」という名称で、東印会幹事長にあてて「労働組合を作るための具体的な第一歩を踏みだしたい……」ということを文書で回答した。しかしその後東印会からは具体的な話はなかった。

(5) 同日築舘は、東印会に自己の復職について支援してほしい旨文書で申し入れた。これを受けて東印会の栗下幹事長らは、会社の意見を求めたり、篠原医師を訪ね築舘の病状について説明をうけるなどしたうえ、四月一四日右件については築舘と会社の間で話し合ってもらいたいという結論を出した。

4  被告の判断

以上の事実によれば、会社は組合結成準備会が発足したこと並びに築舘が組合結成準備活動において重要な役割を果していたことを知ったうえで、組合結成の動きを探り、会社自らあるいは東印会を使って組合結成活動を妨害し、これに干渉し、もって組合結成の阻止を図ろうとしたことは明らかである。そして、築舘の退院後の症状は、ある程度用心することを要するが無理をしない限り通常人のように歩いたり事務をとったりすることができ、仮に再発しても手術をすればよく、疾病の性質からして会社に復帰することは不可能ではない反面、電算機業務廃止とともに築舘を営業部に配置転換することを会社が決定していたかどうかは疑問で、築舘の復職拒否・解雇の方針を正式に決定した昭和四七年二月二九日の役員会は組合結成の動きに対抗して急拠開催されたもので、築舘についての右決定がこれと無関係になされたとは考えられない。これら一連の事情からみて、会社は築舘の症状がどうあれ、あくまでも同人を企業外に排除するとの方針を一貫してとっていたものというべく、会社の真の意図は組合結成準備会の中心人物であった築舘を解雇することによって組合結成の阻止を図ることにあったものと断ぜざるをえない。以上の理由により、会社の築舘に対する復職拒否及び解雇が労組法七条一号及び三号に該当する不当労働行為であることは明らかであり、これと同旨の判断に出た本件初審命令は相当で原告の再審査申立は理由なく棄却されるべきものである。

四  本件命令の適法性の主張に対する認否

1  「当事者等」の事実のうち、参加人組合の結成された日が昭和四七年六月四日であることは否認する。

2  「築舘の負傷と同人に対する休職措置及び復職拒否から解雇に至るまでの経過」のうち、築舘の傷病が回復したこと、昭和四七年二月一六日築舘が東部長に対し「総務部で働かせてほしい。」と要求したのに対し東部長が「総務部は三階だから階段が大変だ。」と答えたことは否認するが、その余の事実は認める。

3  「組合結成の動きとこれに対する会社及び東印会の態度」(一)の事実のうち、昭和四六年一一月一日柏工場従業員に「私達の職場のようす」というビラが配布されたことは認めるが、その余は知らない。同(二)の事実のうち、昭和四七年三月五日田中、会原両名が会社から出張を命ぜられたこと、築舘が組合結成とともに執行委員に選ばれたことは認めるが、組合結成の日が六月四日であることは否認する、その余は知らない。同(三)(1)の事実のうち、昭和四六年九月八日午前高谷柏工場長が築舘と面談したこと、同日夜中峰社長、東総務部長、高谷工場長が築舘を東京都神田の小料理屋に呼び飲食を共にしその席上組合に関する話題がでたこと、九月九日北川専務取締役と高谷工場長が築舘と面談したことは認めるが、いずれも話題の趣旨内容は否認する。同(2)の事実は認める。同(3)の事実は否認する。同(4)の事実は認める。同(5)の事実は否認する。同(6)の事実のうち、パンフレットに労働組合の必要性や目的等が書かれていることは知らないが、その余は認める。同(7)、(8)の事実は認める。同(9)の事実のうち、昭和四七年二月四日北川専務が菊池節子と話し合ったことは認めるが、菊池が準備会員であったことは知らない、話題の内容は否認する。同(10)の事実のうち、従業員大崎仁子の母親が高谷工場長に田中に注意してほしいという趣旨の手紙を手渡したこと、高谷工場長が田中に注意を与えたことは認めるが、その頃の田中ら準備会員の行動は知らない。同(11)の事実のうち、田中、会原、竹川に出張を命じたことは認めるが、その余は知らない。同(四)(1)の事実は認める。同(2)、(3)、(4)の事実は知らない。同(5)の事実は認める。

五  本件命令の適法性の主張についての原告の反論

1  本件命令は、多数の事実誤認及び判断の誤謬にもとづいて発せられたものであって、取消を免れない。すなわち、築舘に対する本件解雇は、以下述べるとおり、築舘の本件疾病が休職期間を通じて治癒不能であり且つ将来とも完治し難く再発必須であったことをもって唯一、決定的な原因とするものであり、会社には不当労働行為意思は全く存しなかったものである。

2  会社が築舘を解雇した理由は、次のとおりである。

(一) 築舘は昭和四六年一〇月一四日から両膝遊離性骨端軟骨炎に罹患し、昭和四七年一月一四日から私病による休職を開始し、六か月間の休職期間満了時である同年七月一三日に至ってもなお右疾病が治癒せず復職不適と判断され、休職満了時に休職理由が消滅せず復職しない時という会社就業規則三七条、三九条二号、四二条に該当するものとして解雇されたものである。

(二) そして、会社が築舘の復職を認めなかった根拠の第一は、右疾病の性質及びその病状にある。すなわち、主治医の意見書、診断書及び病状に関する説明によれば、本件疾病は両足の膝関節部分の骨や軟骨が恰も壁がくずれるように次第に崩れて剥離しこの骨片(遊離体または関節鼠と称する。)が関節腔内に遊離するもので、両膝関節は将来とも正常な状態にならないものであり、しかも築舘は約一一年前に右膝半月板損傷の病名により手術を受け、その後時折発作性の激痛を右膝に感ずるようになり、今回はそれが両膝に及んでその軟骨面が脆弱な様相を呈して病期が相当進んだ状態で、膝に力をかけることは避け常にこれをかばうようにしなければならないし、今後強大な外力又は外力の累積があれば昭和四六年一〇月に発生した両膝の激痛を伴う発作(前記の崩れ落ちた遊離体が膝関節にはさまって激痛を起す)の再発が避け得ない進行性のものであって、右再発の時期は不確定でしかも本人が激痛を感じてはじめてそれと知るものであるが、同様の再発を繰り返すうち変形性膝関節症へ移行し、その場合は関節固定術なり人工関節の取付を施術しなければならなくなるというものである。そしてかかる病状は、築舘の休職満了時から現時点に至るまで些かも好転をみなかったものである。

(三) 他方第二に、会社に存するいかなる業務をとっても両足の膝部分に「強大な外力又は外力の累積」を全く及ぼさないようなものはあり得ず、そうすると、以上のような疾病を有する築舘を復職就労せしめるにおいては突然の発作によって業務上の重大な支障を予想されるのみならず、築舘の前記病状並びに再発を反覆した結果不具状態に至るべきことを熟知しながら築舘を復職就労せしめること自体が従業員の健康管理を責務とする会社(安全衛生法六八条参照)にとってなすべからざるところであると同時に、かかる困難な疾病を有する者に対する健康管理の施設或いは能力を会社は保有していないこと、私企業たる会社が私傷病者に対する措置としては就業規則による休職期間内の身分保障以上にその社会復帰について過重な責を負わなければならないとする謂れは存しないことなどを考慮し、会社は築舘の復職を認め得なかったものでありその結果前記のとおり休職期間満了、復職不可能による解雇となったものである。

3  会社は、中労委の主張するような組合結成準備活動や築舘がその中心たる役割を果したなどという事実は全くあづかり知らなかったのみならず、仮にかかる事実が存したとしてもそれと本件解雇とは何らの因果関係も存せず、会社には不当労働行為意思は全く存しなかったものである。

六  原告の反論に対する参加人両名の反駁

原告の反論は、すべて否認する。

会社は、築舘が昭和四七年二月一四日以降復職要求を続けているに拘らず、同人の組合活動における中心的役割を嫌悪し、一方的に復職不適と判断し、休職期間満了時に休職理由が消滅していないとして不当にも解雇したものである。

築舘は、退院後現在まで篠原主治医の指示にしたがい、膝にショックを与えるような運動や歩き方をしないよう注意しているほかは、日常生活には全く何等差障りはなく、普通人と同様の生活状況にある。篠原医師の診断書及び意見書の記載からみて、同医師は医学的にみて築舘が復職可能であることを診断したものとみるべきものであり、また同医師の意見書は築舘の生涯を通じての治療計画を述べているのであって、そこに盛られている内容をあたかも目前の危険性のごとくいうのは当らない。また当面予想される遊離体再発は「何か月後か、何年後か判らない」のであって、現に遊離体が発生せず、且つ築舘の本来の職務が事務労働であってみれば、「過激な労働」は通常考えられないから、本人の自覚的な生活態度あるいは会社の適切な管理を要するにしても、遊離体再発までの間は業務上の支障はほとんど考えられないのである。その上、築舘の場合再発したとしても、就業規則上病気休暇、休職等の措置が規定されている場合は、その範囲内の休業等によって生ずる業務上の支障は問題とするに足りない。

なお、会社は築舘の復職が安全衛生法六八条に規定する場合の就業禁止に該当するかの如くいうが、本件の場合それに該らないことは同法並びに安全衛生規則六一条の規定の仕方によって明らかである。そして一般に、何らかの疾病を内有しつつ就業している者は少くないのであって、前記法条に該当する場合を除き、疾病を有する者の就労により現に勤務上の支障が認められない限り、使用者が単に疾病を有するということのみを理由に解雇その他の不利益措置を講ずることは、不当解雇等の評価をうける場合が多く、あるいは他に何らかの意図の存在を推認されるのである。

第三証拠関係≪省略≫

理由

一  請求原因事実は、当事者間に争いがない。

二  本件命令の適法性についての被告及び参加人の主張1「当事者等」の事実は、参加人組合結成の日を除いて原告が明らかに争わないから自白したものとみなし、同2「築舘の負傷と同人に対する休職措置及び復職拒否から解雇に至るまでの経過」の事実は、築舘の疾病が回復したこと、昭和四七年二月一六日築舘が主治医の診断書を会社に提出した際、東総務部長に対し「総務部で働かせてほしい。」と要望したのに対し東部長が「総務部は三階だから階段が大変だ。」と答えたことを除いては、当事者間に争いがない。

原告は、築舘に対する本件解雇はその疾病が休職期間を通じて治癒不能であり且つ将来とも完治し難く再発必須であったことをもって唯一決定的な原因とするものであると反論するので、以下に築舘の病状とこれに対する会社の措置の当否について検討する。

1  前記争いのない事実並びに≪証拠省略≫を総合して認定できる事実を併せると、築舘の負傷から休職及び復職拒否措置を経て解雇に至るまでの経過は、次のとおりである。

(一)  築舘は、昭和四六年一〇月三日昼休み時間に柏工場中庭で野球をしていた際に、捕球のはずみに足を捻らせたことがもとで本件疾病を起し、近隣の医者に診てもらった後その紹介で一〇月一三日松戸市立病院整形外科に入院し、「右膝関節鼠、左膝半月板損傷」の病名のもとに約六週間の加療を要すると診断され、一〇月二二日全身麻酔のうえ両膝関節につき関節内遊離体(関節鼠)を摘出する手術を受け、両膝関節内から約二〇ミリ×一〇ミリ×五ミリ大の遊離体を摘出した。そして当初は一一月末頃には退院できる見通しであったが、中途で発熱したこともあって結局昭和四七年一月一一日まで入院し、退院後も自宅その他で療養と歩行訓練をした。

一方、会社は築舘が昭和四六年一〇月一四日から欠勤を始め、私傷病欠勤が三か月に及んだので、就業規則三五条一号、三六条により自動的に昭和四七年一月一四日から同年七月一三日までの六か月間休職の扱いをとった。

また、築舘は発病当時柏工場事務課に配置されていたが、昭和四六年一〇月二〇日事務課の事務廃止に伴う措置として配置転換されることになったものの、入院加療中であったため長期欠勤者に対する従来の慣例により右同日付で本社総務部付を命ぜられ、右発令があったことはその頃築舘に伝達された。

(二)  築舘は昭和四七年一月二四日に柏工場総務課に対し一月三一日から出勤する旨の連絡をしたが、その後水上や下田の温泉に療養と歩行訓練に出かけ、二月一日を過ぎても無断で出勤してこなかった。そこで会社は、二月七日に築舘に対し出社も連絡もしないことについての理由書を提出するように求めたが応答がなかったので、就業規則五五条に一四日以上無断欠勤の場合は懲戒解雇事由とされていることもあって、二月一一日に築舘に対し会社と連絡をとるべきこと、もし連絡がなければ無断欠勤とみなして処理する旨の書面を送付した。築舘は温泉から帰って二月一一日付の書面が届いていることを知り、柏工場長と連絡をとったうえ二月一四日に会社に出頭した。

(三)  築舘は二月一四日午前柏工場に出社し、そこで昭和四六年一〇月二〇日付の本社総務部付を命ずるとの辞令を受取り、指示により同日午後本社に出頭し東総務部長の面接を受けたが、長期療養後にも拘らず診断書を提出しないので、東部長は築舘に対し診断書の提出を求めた。

(四)  二月一六日築舘は主治医である前記病院篠原寛休医師の二月一五日付診断書を会社に提出したが、その診断書には「両膝遊離性骨端軟骨炎 頭書疾病、関節内遊離体摘出術施行せるも、今後更に又遊離体の発生は予測される為過激な労働は不適当である。」と記載されていた。右記載により、東部長は築舘の復職の可否につき判断を下すことができなかったので、同日午後病院に行き篠原医師に病状を尋ねたところ、同医師から築舘の傷病は将来とも正常にならないから過激な労働やスポーツ等膝に力が加わるようなことをしないようにしなければならないとの説明を受けた。そこで築舘に対し、東部長名義で二月一八日付で「十分審議の上で回答するからその間自宅療養、待機せよ。」との書面を送り、次いで会社名義で二月一九日付で「診断書の内容ではいまだ完全治癒の状態ではなく、正常勤務には耐えられないと判断されますので、復職は認められません。今後共治療に専念されるよう通知いたします。」という文書を送付した。

これに対し築舘は二月二一日付で「担当医師の診断および本人の治癒判断に依り職場復帰可能となりましたので……復職申請致します。」という復職届を東部長宛に提出したが、東部長はこれに対しても、前記会社の通知と同趣旨の文書を送付するとともに右復職届を返送した。

(五)  二月二三日築舘は東部長に面談し、総務部付として就労を求めるとともに、休職期間満了の場合も含めて築舘に対する会社の今後の取扱方針や身分・生活の保障につき会社の態度を明らかにするよう求めた。そこで東部長は再度篠原医師を尋ね、築舘が就労した場合患部にどんな影響が出ることが予想されるかにつき質問したが、回答の内容は、再発が予想されること、勤務についても最少限度の動き方が必要でその動作のいかんによっては早く再発することもあるし再発しないこともあるという抽象的なことに止まった。その回答にもとづいて東部長は、築舘の症状は本人の申告では一応回復したとされているが到底通常の状態で勤務させることはできないと判断した旨を社長に報告した。

(六)  二月二九日会社は柏工場において、柏・平塚両工場長も出席したうえ役員会を開き討議の結果、築舘の傷病は再発が避けられないし完全治癒は難しいと判断し、復職を拒否することを確認するとともに休職期間満了後は解雇する旨の方針を決定した。そして三月一日築舘が就労を求めて東部長に面談した際に、前記(五)の築舘から会社の態度を明らかにするように求められたことに対する回答の意味も含めて、東部長から築舘に対し(イ)会社は昭和四六年一〇月二〇日築舘の営業部への配置転換を決めているが、提出された診断書や医師に対する問合せなど総合判断した結果、勤務に耐えられないと認められるので復職は認められない、(ロ)休職期間満了後においても勤務に耐えられないと推察されるので、右期間満了後は解雇する方針である、という趣旨を伝え、さらに同日会社は上記意向をまとめた文書を築舘に送付した。

(七)  篠原医師は三月六日付でも前記二月一五日付診断書と同一内容の診断書を作成していたが、四月一八日付で病名は同一ながら「頭書疾病軽快、過激な重労働以外就労可能である。」との診断書を作成し、築舘がこれを会社に提出した。そこで五月一六日に右にいう「軽快」の意味を尋ねるために東部長が篠原医師に会ったところ「一般的に根治のない循環性の病気について表現されるものであるが、本件では骨も固定し運動訓練を終了して一番良い状態にあることを意味する。但し将来とも大丈夫という具体的意味はない。」と説明され、なお、再発は患者の養生・生活態度で異なり、早ければ六か月ということもあり三、四年経っても再発しないこともあること、再発は大きな外力や小さな運動の繰返し等の積算によるもので一概にいえないが、どちらかといえば小さな運動の繰返しの方が影響が大きいこと、就労については医師の立場としては患者の社会復帰を第一に考えるので、軽労働なら就労できるとしかいいようがないことの説明もうけた。

(八)  五月二〇日会社は篠原医師に意見書の提出を求め、篠原医師はそれに応じて五月二六日意見書を会社に提出した。この意見書には、次のように記載されていた。「約一一年前、右膝半月板損傷の診断にて北海道赤平市立病院で手術施行。その後時折発作性に右腿の激痛を感ずるようになった。」本件手術による所見では「左大腿骨の関節面は、遊離体の母床と思われる陥没せる部分がはっきり認められ、その付近の軟骨面はあたかも壁が崩れ落ちるが如く脆弱な様相を呈しており、今後又再発が予測される。」「治療に関しては、初期の程度なものは安静、固定により、ほぼ治癒するものと思われている。しかし病期の進んでいるもの、遊離体が既に存在するものは、これを摘出、場合によっては、遊離体の母床に骨移植を行う。病期の進んだ本疾病の一般的予後は必ずしも良好ではなく、再発を繰返すうちに変形性関節症へと移行する。」「本症例の予後に関する見解―以上述べ来った如く、既に(特に左膝)循環障害にもとづくと思われる軟骨面の変性が肉眼的にかなり著明に認められる本症例は、今後強大な外力又は外力の累積により、再発は避け得ないものと考えるのが妥当と思われる。そこで我々の治療の最終目的は患者の社会復帰であると考えるなれば、次の二通りの方法しか存在しない。(ⅰ)特に治療はないが、病状を観察しつつ、無期限に休養する。(ⅱ)病期に応じての治療対策をたて復職する。そこで次の治療方針をたて、(ⅱ)を選ぶこととした。(イ)今後予想される遊離体再発は何ヶ月後か、何年後か判らないので、発生したらその都度摘出術を施行する。(ロ)再発をくり返し、変形性膝関節症へと移行する時期をなるべく老令期へともって行くべく養生する。(ハ)若し高度な変形性膝関節症が招来されて了った場合には、関節固定術なり、人工関節なり、その時点で最適な治療を行う。以上の治療計画のもとに昭和四七年二月一六日軽作業より復職可能と診断したものである。」

(九)  六月八日会社は築舘に対し「貴殿がなお正常な業務に就き得る迄に完治しておらず休職事由は消滅せず、かつ休職期間満了時においても消滅しないものと判断します。よって……休職期間満了日の昭和四七年七月一三日の翌日付の解雇を予告します。」という解雇予告通知書を送付した。

なお、会社の就業規則には、三九条「従業員が次の各号の一に該当したときは、退職とする。ただし、(2)(3)については会社は、第四二条の手続をとる。……(2)休職期間の満了直後に復職しないとき。」、四一条「従業員が次の各号の一に該当するときは解雇する。……(2)精神または身体の障害もしくは虚弱老衰、疾病等によって勤務に耐えられないと認めたとき。……(7)その他前各号に準ずると認められたとき。」の規定があり、四二条は解雇の予告につき規定している。

2  右事実にもとづいて、次のとおり判断する。

(一)  築舘の症状

築舘が昭和四六年一〇月三日発病以来三か月以上の入院期間を経て昭和四七年一月一一日ごろに退院したことは、一応入院加療の必要がなくなったことを示すものとは認められるものの、その後温泉や自宅療養を重ねて二月一四日出社に至るまで一か月余り経過した後作成された二月一五日付診断書で、なお傷病の再発が予測され過激な労働は不適当であると記載されていることからみて、主治医において築舘の傷病が完全に治癒したと認定しているものではないことは明らかであるばかりでなく、右疾病の完全治癒は困難であって診断書作成当時においても症状は不安定であること及び勤務に耐えうるかどうかについては消極的な見解を示していることがうかがわれる。右の事情は四月一八日付診断書の「疾病軽快、過激な重労働以外就労可能である。」との記載についても同様で、疾病が治癒したと主治医が認定しているものではないことその文言から明らかである。また、五月二六日付意見書によれば、築舘の病状は、仮に築舘が医師に申告した約一一年前の右膝半月板損傷の手術が真実であるとすれば、一一年間に右膝だけでなく左膝も罹患し、しかも病歴の古い右膝より左膝の方が悪化が著しい結果になっていること、病期が進んだ状態にあり最善の道は無期限休養であること、軽作業に従事していてもなお軟骨の遊離体再発は避けられず、その場合は手術施行が必要であること、再発を繰り返すと変形性関節症を招来するおそれがあり、最悪の場合には関節固定術なり人工関節の治療方法をとらざるをえないことがうかがわれる(半月板損傷と遊離性骨端軟骨炎とは別個の疾病であると解されるが、本件においても当初は左膝については半月板損傷の診断がなされていたことは前記認定のとおりであり、一一年前の疾病も遊離性骨端軟骨炎でなかったともいいきれない)。そうとすれば、築舘の疾病は進行性のものであって病状は相当程度悪化しており、休職期間中を通じて回復の徴候が現れたとは到底認めることはできない。

(二)  就労可能な業務の範囲

四月一八日付診断書の「過激な重労働以外就労可能」の診断は、右説示のところからして、築舘の疾病の現状に対しての正当な判断であるとは認め難い。二月一五日付診断書の「過激な労働は不適当」の診断と五月二六日付意見書の「軽作業より復職可能」の診断は、表裏の関係にあるものと解される。そして前記のように軽作業に従事していても遊離体再発は避けられないとすれば、右診断の趣旨は、再発を覚悟しながらまず軽作業から始めて、病状の観察をしつつ過激な労働でない限り漸次程度の重い作業に移ることも可能である、というにあると解される。

しかし、軽作業といい過激な労働といっても全く抽象的であって、結局は患者の病状との相関関係できめていくほかはない。ところが、前記のように築舘の病状はかなり悪化しているといわざるをえないばかりでなく、それがどの程度のものであるか的確に把握できる状況にない。そうとすれば、築舘が従事すべき業務の種類・内容を決定することは著しく困難であると解さざるをえない。

(三)  会社のとった措置

(1) まず二月一五日付診断書の記載からみると、会社としては疾病が治癒したかどうかについて疑問を抱くのは当然で、復職可能であると判断することが困難であったことは充分うなづかれるところである。そこで東部長が同日直ちに主治医を訪問して説明を受け、その結果にもとづき二月一九日付で会社が築舘に対し、完全治癒の状態ではなく正常勤務に耐えられないと判断されるから復職は認められないと通知したことは、相当な措置であったといえる。また、二月二三日に築舘から今後の取扱いや保障について会社の態度の表明を求められたのに対して、東部長が再度主治医を訪ねて意見を聞いたが結局は抽象的な回答しか得られなかったというべく、その結果にもとづき二月二九日の役員会において築舘の疾病は再発が避けられないし完全治癒は難しいと判断し、復職を認めず休職期間満了後は解雇する旨の方針を決定し、三月一日東部長が築舘にその旨を通告したことも、やむを得ない措置であったというべきである。その後、四月一八日付診断書が提出された場合も東部長が主治医に面会して意見を聞き、さらに五月二〇日に意見書の提出を求めて主治医の判断を確認した後、六月八日付で会社が築舘に対し正常な業務に就き得るまでに完治しておらず休職事由は消滅せずかつ休職期間満了時においても消滅しないものと判断して解雇予告をしたことも、前記のような築舘の病状に照らし、診断書・意見書並びに就業規則の条項についての解釈、判断において誤りを犯したとも認められない。

(2) 会社が上述の各措置をとるにあたって、東部長が医学書等若干別個の資料を探索した証拠もないではないが、専ら主治医の見解を聞きそれを頼りにして判定をしていったことについては、主治医が専門家として患者を診察し具体的病状や経過に精通していると考えざるをえない以上、これに最大の信頼を寄せることは当然であって、調査資料の不足を責むべきものはない。

(3) なお、会社に築舘の復職可能な職種があるとすれば、それを築舘のために提供してでも復職をはかるべきではないかとの議論も予想されるが、雇傭契約において労働者側の労務提供の種類・程度・内容が当初の約定と異なる事情が生じた場合には、道義上はともかくとして、使用者においてこれを受領しなければならない法律上の義務ないしは受領のためにそれに見合う職種の業務を見つけなければならない法律上の義務があるわけではないし、改めて労働条件を変更する契約が成立しない限り、労働者はその責に帰すべき事由による債務履行不能もしくは不完全履行として雇傭契約解除の原因ともなりうべきものである。会社の就業規則中の前記三九条二号及び四一条二号は、右の趣旨にもとづいて理解さるべきものである。

右の点は一応措くとしても、築舘の病状がどのような軽作業であれば再発をみないで或いは再発の時期を遅らせて遂行できるかが明らかにならない以上、適当な具体的職種を発見することは不可能を強いるものというべきであるし、仮に会社が適当と考えてある職種に就労させたとして、再発した場合にそれと知りつつ就労せしめた会社の責任が問題になりうることは明らかである。

(四)  就業規則との関係

就業規則三九条には、従業員が休職期間の満了直後に復職しないときは退職とする、ただし会社は解雇予告の手続をとる、と定められており、右の休職期間の満了直後に復職しないときとは、従業員が自発的に復職しない場合はもとより、復職できないとき、すなわち従業員には復職の希望はあるが休職期間満了時に傷病治癒せず復職を容認すべきでない事情がある場合も含まれると解すべきで、そうすると本件の場合においても築舘の病状は休職期間満了時に治癒していないこと前認定のとおりであるから、右規定に該当する。そして、そのような場合の効果としては「退職する」と定められており、従業員が自発的に復職しない場合(および≪証拠省略≫によれば就業規則三九条三号には従業員が死亡したときは退職とし、解雇予告手続をとると規定されていることが認められるから、従業員が死亡した場合も)当然退職の効果を生じ、解雇予告の手続は法律関係の明確を期するための確認的措置に過ぎないと解されるのであるが、従業員が復職の希望を有する場合であっても傷病治癒せず復職を容認すべきでない事情が客観的に存する限り、同様に解するのが相当である。

三  不当労働行為の主張に対する判断

被告及び参加人は、会社は築舘が昭和四六年九月頃発起人の一員として労働組合結成準備会を結成し積極的に渉外情宣活動をしていることを知り、組合結成の阻止を図り組合活動家を嫌悪し企業外に排除しようとして本件復職拒否及び解雇に及んだものであって、右各取扱いは労組法七条一号及び三号に該当する不当労働行為である、と主張する。

ところで、築舘に対する解雇が不当労働行為であるとするならば、会社は築舘を原職(総務部あるいは営業部)に復帰させなければならない理であるが、他方、主治医の診断に従う限りにおいては会社は築舘を軽作業の業務に復職させる必要がある(単に望ましいという程度ではない)ことは前認定のところから明らかである。そこで本件初審命令も会社に対し「本人の病状に留意し、本社総務部の適当な職に復帰させること」を示唆しているものと解される。しかし、不当労働行為意思が決定的あるいは本質的理由であり、築舘の疾病が決定的あるいは本質的理由でないとみるならば、疾病を理由とする復職上の配慮は不必要になるべき筋合いでなければならない。逆にいえば、病状についての配慮をすべきことを示唆することは、すなわち疾病が完全治癒しておらず再発のおそれがあるという判断の上に立って再発をもたらすおそれのある職につけないように配慮すべきことを示唆するにほかならず、そうとすれば、被告らのいうように現に築舘が医師の治療を受けておらず、日常生活や組合活動に格別困難を感じていないからといって、直ちに復職可能の判断に結びつくものではない。その前段階においての再発の可能性の判断が不可欠であり、その判断のいかんによっては、会社の業務運営の面において種々の支障を生ずべきことが予想されるのみならず、築舘自身の健康の面においてとりかえしのつかない不幸な結果を生ずべきことも考慮しなければならず、被告らのいうように再発したら手術をすればすむとは軽々に断じられないものがある。

そして、前記説示のように築舘の病状は進行性のものでありしかもかなり悪化していると認むべきであるから、今後長期にわたり雇傭契約上の労務の完全な履行を期待しえないことが明らかであって、被告らのいうように疾病の性質上会社に復帰することが不可能ではないとすることはできないし、復職方を会社に命ずるとすれば、使用者が従業員一般に対して健康管理の義務を負っているとしても、築舘についてはそれ以上の義務を会社に負わしめることになるのはいうまでもない。そのようなまでの配慮をしなければ復職勤務に耐えられないとするなら、そのこと自体が問題であって、雇傭契約上の労務の完全な履行が期待できなくても、組合活動家なるが故に会社は軽作業を与えてでも雇傭を継続しなければならないとする法理は見出しにくい。換言すれば、傷病のために雇傭契約上の労務の完全な履行が期待できないとする使用者の判断が客観的に合理性を有し雇傭関係の解消が社会通念上相当として是認さるべきものである場合には、不当労働行為の成立は否定されなければならないというべきであって、本件はまさにその例というべきである。したがって、被告らの不当労働行為の主張は、その余の判断をするまでもなく、理由がない。

四  結論

如上判示のとおり、本件解雇(退職)は会社の不当労働行為意思によるものとは認められないから、これを不当労働行為であるとして参加人らの救済申立を認容した本件初審命令を維持し会社の再審査申立を棄却した本件命令は、瑕疵ある行政処分として取消を免れない。

よって、本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九四条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山俊彦 裁判官 原島克己 大喜多啓光)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例